BloodWirth『蔓薔薇の家』リプレイ第二回
前記
カードワースリプレイは、二次創作です。BloodWirth『蔓薔薇の家』シリーズには、元のシナリオにない捏造改変や、曲解が多く含まれることをご了解ください。
第一回の記事を未読の方は、そちらからお読みください。また、以下のシナリオを未プレイの方は、事前にプレイしていただくことをおすすめします。
- 時紡ぎ(M.Mori 氏作、寝る前サクッとカードワース vol.5 収録)
発端
体力の回復したベネリートは、単独の仕事を宿から(すなわち『蔓薔薇の家』の表向きの看板から)引き受けていた。
簡単な荷運び。ただし品物は禁制品で、口止め料を兼ねる前金など渡されてしまったが。それでも、病み上がりで、未だ隻眼に慣れ切らない身にはちょうどよい、楽な仕事だった。
(仕事が終わったら、話をしましょう)
あれから、ベネリートとブリシーラナは顔を合わせていない。一方にとっては最も親しい人で、一方にとっては赤の他人。食い違う認識が隔意を生じ、どちらからともなく避けてしまっていた。
(このままではいけない。縁を結び直すにしても、断ち切るにしても)
関所を避けて、霧の沼地へと入る。この道は、目的地への近道でもあった。
しばらく進んで、異変に気づく。
湿地の中に一箇所だけ、地面が固く乾いている場所があった。何度めかそこにたどり着き、靴の泥を落とした。
そこには洞窟が口を開けていた。ベネリートは迷い路を脱出する手がかりを求め、目の前の洞窟を調べることに決める。
(……この洞窟、よく見ると人工物ですね。朽ちかけていてわかりませんでしたが)
空気はかび臭い。松明で照らした内壁は、湿って苔むしている。腰を下ろして休むなら、まだ外の土の上のほうがよさそうに思えた。
いくつかの通路と部屋を通り過ぎた先に、ひときわ立派な扉があった。腐食が激しいが、まだ丁番が生きているようだ。鍵のたぐいはないようで、力を込めるだけでそれは開いていく。
きしむ音。真っ暗な室内へ、細く明かりが差し込む。
「卵……の匂いが……」
一条の光の先で、もぞりと影が動いた。
「誰かいるのですか」
いまさら身を隠す意味はない。いつでも武器を抜けるように身構えながら、扉の隙間を押し広げた。
「その卵を、わらわにくりゃれ。後生じゃ……後生じゃ」
切れ切れの声で懇願するのは、腰から上の半分が女、下半分は巨大な蜘蛛の形をした異形だった。
それが差し出したのは指輪らしき小さな金属細工。暗がりで遠目に見るかぎり、輝石などはついていない。
卵と言われて思い当たるのは、密輸品の虹蚕の卵だ。
「これで間違いありませんか」
「おお、それじゃ!」
仕事で預かった品物ではあるが、ベネリートはその小箱を投げてやることにした。
蜘蛛女は歓喜の声を上げると、勢い良くその中に鼻先を突っ込む。
虹蚕、つまりは虫だ。虫ごときの卵を、神を名乗るものが必死になってむさぼり食っている。
なんと滑稽なありさまか! ベネリートは失笑をこらえた。
「……もうないのか?」
「残念ながら」
「そうか……」
異形の舌が名残惜しげに空箱を舐めた。
それから蜘蛛女は節のある八足でごそごそと這い寄り、黒ずんだ古い指輪をベネリートに手渡した。
いわく、強大な魔力を宿すことのできる指輪であるらしい。今は本来の力を失っているが、時を経れば取り戻すことができるという。
つまるところ、がらくたを掴まされてしまったわけだが、ベネリートは特に気にしなかった。
「私を霧に閉じ込めたのは、あなたですか」
「いかにも。しかし、誤りもある。霧は我が手の内にはないもの。閉じ込めた先は時の中よ」
異形はトートメイアと名乗り、時を紡いで歴史を織るのが役目だと語った。しかしその役目は、災厄の訪れにより果たせなくなってしまったという。
「死すべき定めの儚きものよ、わらわの頼みを聞き、かの邪なる左道使いゲイラーン・カーナを打ち倒してはくれまいか」
怨嗟の言葉とともに、そのものが為した凶状が語られた。トートメイアは狂乱じみた剣幕で、大仰に飾り立てられた台詞から要領を得るのに、ベネリートは苦心した。
一通り語り尽くすと、トートメイアは気の抜けたように肩を落とし、ベネリートに懇願の目を向けた。
「あなたの頼みを聞くのとあなたを殺すのと、どちらが易いかによりますが」
「それは、聞かねばわからぬか」
「いえ。あなたを殺すなら、私が頼れるのは自分だけ。魔術師は独力であなたを殺せる強敵でしょうが、助力をいただけるのでしょう、神よ」
「しかり。今この場では施せぬが、それはすでに織り込みが済んでおるゆえのこと」
「未来の歴史に、ということですか」
無策の策
トートメイアの頼みを引き受け、改めて霧の中を行く。
すると、あれだけ迷ったのが嘘のように、あっさりと視界が晴れていく。
森の中。ぬかるみはなくなったが、ふかふかの腐葉土に足が沈む。老樹の根が岩と絡み合う、でこぼこだらけの道なき道。時にはよじ登ったりと、全身を使って進まなければならなかった。
やがて険しい森も途切れ、開けた土地に出た。
農作業をしていた娘が、森から青年が現れたのを見て、鎌を取り落とした。驚きに見開かれた両の目から、みるみる涙があふれだす。
「お待ちしていました。きっと来てくださると思っていました……」
(……ブリシーラナも、こんな気分だったんでしょうか)
はじめて見る顔から突然強い感情を向けられる戸惑い。一瞬、自分の記憶喪失を疑った。しかしすぐに、これはトートメイアの織り込んだ策の一端であろうと思い直す。
「すみません。どうも、あなたに歓迎される心当たりがなくて」
「え? でも、あの塔の魔法使いを、追い払うためにいらしたのでは」
「ええ、そのとおりです」
「そうですか、そうですよね。……でも、あたしのことは憶えてらっしゃらない」
「よければ、教えてくれませんか、あなたのことを」
「わたしのこと、ですか」
「はい。もしかすると、思い出せるかもしれませんから」
ベアトリスと名乗った娘は、十年前からここに暮らしているらしい。ゲイラーンの魔術の生贄にされるところを、ベネリートによく似た『霧の森の半神』に救われ、この家に預けられたのだという。
『霧の森の半神』とはこの地域の古い言い伝えだそうだが、あいにくと彼女は詳しく知らなかった。加えて、話を聞けそうな人間は、すでに亡くなっているということだ。
「さっきはすみません。本当によく似ていたもので。でも、よく考えれば、今も同じ背格好をしているはずがないですよね」
「そうですね。十年前なら、私も小さな子供でした。私も、ちょうどその頃、今の家族に拾っていただいて……こんな話はつまらないですね」
「いいえ、そんなことは。……ご家族と、うまくいっていないんですか」
鋭い勘に図星を指され、ベネリートは小さくうめいた。
「……ええ、まあ、少しだけ。ただ、この仕事が終わったら、どうにか折り合いをつけようと、決めているので」
「仕事……あ、塔の」
「はい。魔術師は退治しますから、安心してください」
本当は、ゲイラーンの態度次第で、トートメイアを裏切ってもいいと思っていた。しかしゲイラーンにつけば、ベアトリスは不幸になるだろう。わずかにでも共感を与えてくれたこの娘を見捨てることは、どうにも心苦しい。
それに、『霧の森の半神』はゲイラーンの恨みを買っている。身に覚えがなくとも、ベネリートは姿かたちが似ているようだ。これは交渉に際して不利に働くだろう。
(策は策でも、私を逃がさないための策でしたか。やられましたね)
ベアトリスに背中を見送られ、ベネリートは塔を目指した。
魔術師の塔
その塔は、湖の畔にそびえている。空と水の美しい青色を背景に、石造りの建物が禍々しさを放つ。
内部はしんと静まり返り、冴えた空気が満ちていた。外観の汚らしさが嘘のように、塵ひとつ落ちていない。
ただ階段を昇る途中で、半実体の魔物、霧の獣に襲われることがあった。
(ねずみ取りでもさせているんでしょうか)
二階へ上がると、書斎に出た。蒐集された書物の間に、ゲイラーンその人の著書が並べてあった。題目は『徒渡る神』。ベネリートはその書を流し読むと、馬鹿らしくなって台の上へ放り出した。
次の階には、腐った血肉のにおいが充満していた。切り刻まれ、ばらばらになった死体が散乱している。顔をしかめ、鼻と口を押さえる。
(ひどいことを)
素通りをしなかったのは、何がトートメイアの策であるかわからないからだ。助けがなければ死ぬのは自分だ。そう思えばこそ、あたりを探った。
しかし成果は、施錠された箱を調べた際に毒を受けたのみ。強烈な毒にめまいがする。生命の危機を感じた本能が、ひとつしかない瞳に赫い光を点す。
ふらつきながら階段を昇る。おそらく次が最上階。
結局、助けらしいものは塔内のどこにもなかった。調べておいてよかったと思ったのは、かかればひとたまりもなかっただろう、異空間へ繋がる落とし穴の罠くらいだ。
階段の出口を塞ぐ扉は錠もないのに固く、二度、三度と押し引きを繰り返すが開かない。
四度目に体当たりで破ろうとすると、扉はあっさりと開いた。身体を当てる前に開いてしまったので、ベネリートは勢い余って床へ倒れ込んだ。
頭上からせせら笑う声がした。ベネリートが苦々しく顔を上げれば、痩せた男が一人、にやついた笑みを浮かべて佇んでいた。
「ん……?」
どうやら何かに気がついた様子で、男の顔が怒りに染まる。
「そうか貴様か! あのときは三年もの準備をよくも無駄にしてくれたものだ。今度はそうはいかんぞ。死ね。死んで我が糧となるがいい!」
「……予想以上の反応ですね、これは」
交渉どころの話ではない。男はただちに杖を振り上げ、弱りきったベネリートを指差す。
「始源の混沌にかけて! 貴様の血と魂でもって購わせてやろうぞ」
もはや詠唱か罵倒かもわからない言葉を並べ立て、それは破壊の呪文を紡ぎあげた。
片目を失う前の万全の状態であれば、いい勝負になったかもしれない。しかし今のベネリートは、どうにか立ち回って攻撃を凌ぐのがやっとである。
壁際に追い詰められ、いよいよ神を呪う気持ちが頂点に達したときだった。
滑るような動きで、何者かが両者の間に割り込んだ。
鋭く一閃した光に刹那、目を閉じた。次の瞬間には、ゲイラーンの胸に、見慣れぬ長剣が突き立っていた。
「き、貴様……ぐは」
ゲイラーンは血を吐きながら、凶手の顔を認めて目をみはった。それが彼の死に顔となった。
「まったく、とんだ茶番ですよ」
ベネリートもまた、疲れた身体で膝をつき、呆然とその姿を見上げた。
謎の人物は長剣を引き抜き、したたる血を拭うと、ベネリートの前に置いて言う。
「次は、あなたの番ですからね」
神の社
塔を攻略した後で、もう一度霧の中に戻れというのが、トートメイアの指示だった。自分に似た誰かが残した剣を携え、ベネリートは森と湿地の悪路を戻った。
これはいったいどういうことか。洞窟の内部は清潔に清められ、壁にはきらめく細糸で精緻に織り上げたタペストリが飾られている。
何人もの僧侶たちが祈りを捧げ、日々の仕事をこなす様子が見える。彼らはそのかたわら、ベネリートを客分としてもてなそうとするのだ。
宿を勧められて、寝床を借りた。混乱や警戒する気持ちもあったが、疲れ果てていては抗いようもなかった。
「ここは、どういう場所なんです?」
「我らの神トートメイアをお祀りする社ですよ。神については、私などが語るより、慈悲深き御方に直にまみえるのがよろしいかと」
「信徒でなくとも、会うことが許されるものなのですか」
「無論のこと、俗世の穢れなど持ち込まぬために、禊を済ませてからとなりますが。お会いになられますか」
「ええ、ぜひ」
翌日には湯水を用いた禊を済ませ、トートメイアの座所へと入ることが叶った。
それはやはり知った姿であったが、先方にとってはそうでなかったようだ。豪奢な台の上で身じろぎをする彼女は、来訪者を見て疑問を口にした。
「そちは……何者じゃ?」
ベネリートは小さく笑った。
「失礼ながら、やはりあなたはただの魔物ですね」
「そちの信ずるところこそ、そちにとっての真実ゆえに」
「……」
「やれ、わからぬな。『時紡ぎ』などと呼ばれても、自分のことはままならぬものよ。ともあれ、そちがいるべき場所はここではなく、本来の時代も今ではあるまい。そこへ送り届けてやるとしよう」
トートメイアの言葉が終わるや、ベネリートはめまいに見舞われた。視界がくらみ、膝をつく。
気がつくと、そこは最初に見たのとかわらぬ廃墟だった。トートメイアの座所ではなく、入口にほど近い、湿った風の吹き込む通路。
拝観に際して着替えた服も、預けた武器や手回りも、元通りに身に着けている。
夢か。否。ないはずのものが手元にあった。僧侶たちの隙を見て、養蚕場からくすねた虹蚕の卵。
身震いをした。
(肌寒さのせいです)
ベネリートは霧の中へと逃げ込んだ。
違和感
湿地を抜け、森を抜け、再び湖畔の塔を臨む高台へとやってきた。
ここには若い娘が一人で住んでいたはずだ。しかし、ベネリートを見て驚きを示し、小屋に引っ込んでしまったのは見知らぬ老婆だった。
胸騒ぎを覚えて小屋を訪ねる。
老婆は『霧の森の半神』を歓迎した。名前を尋ねてみると、やはり知らない人物であった。
娘が年老いるほどの時が流れたわけではなかった。もしかすると、それより遥かに長い時が流れただけかもしれないが。
「半神とは、いったい何なのですか」
「あんたの事だよ。霧の森の奥からやってきて、悪い奴を懲らしめてくれるんだ。昔からそうだった。あんたは、この辺りではとても有名だよ」
どうやら、塔に住み着いた魔術師に、彼女の息子が殺されたらしい。
確かめたわけではないが、魔術師に苦言を呈しに行ったきり戻らないのだ。連れ立って行ったもののうち、一人として帰ってこない。以来、村人は魔術師に怯え、降りかかる災いに耐える日々が続いているのだという。
老婆は魔術師の名を知らなかったが、ベネリートには思い当たるふしがある。
(ゲイラーン・カーナは死んだ。同一人物だとすると、これは未来ではなく)
塔へ入る前に、木のうろに指輪を隠した。トートメイアにもらったものだ。これが本当に過去であるならば、ガラクタを寄越すつもりではなかったのかもしれない。
「その気があるなら急ぎ給え、君」
木立の切れ間から、若い男の声がきこえる。
「あの無鉄砲な魔術師は、混沌の神の中でも強力な『刈り入れ者』を呼び出すつもりだ」
『刈り入れ者』という言葉には聞き覚えがあった。トートメイアが怨敵のことを語る際、魔術師の名とともに口にしていたはずだ。
「愚かしいと思わないか? いかなる神であれ、僕には、自ら進んで近づく奴の気が知れないね」
「おおむね同感ですが、あなたは誰です」
「僕の詮索は、後回しにした方が良いんじゃないかい? 縁あらば、いずれ見える事もあろうさ」
言葉が終わるや、風が吹く。木々のざわめきが消え去ると、鳥の声すら聞こえない静寂が落ちた。
塔を駆け上がって行く。一度往復したとおりの構造。もともと複雑でもないので、迷うことはない。
途中、三匹のゴブリンを切り捨てた。一対多。無傷とはいかなかったが、かすり傷だ。
ふと呼び止められたような気がして振り返ると、そこには箱が鎮座していた。以前訪れた際に、同じ場所で毒針の罠にかかったことを思い出す。
(手を出すには、抵抗がありますが)
(『徒渡る神』の……まさか)
ゲイラーンの著書の表題だ。疑わしいが、普段の彼からしてみれば意外なことに、半ばほどは信じてもいた。
気味の悪い物体を懐にしまって、ベネリートは塔の攻略を再開する。
そうして、最上階。
力ある魔術師にはよくあることだが、十年という月日を経ても、その姿はまるで変わらないらしい。
ベネリートが足を踏み入れたとき、その痩せた男は入口に背を向けていた。斬りかかるに絶好の機会とはいかず、武器に手をかけるのと、振り向いて構えられたのはほぼ同時。
「やはりあなたでしたか」
浴びせかけた一撃は杖でいなされ、魔術師に反撃の隙を与える。
「誰だね、君は? なにやら面白い魔法の匂いがするな。しかし、今は手が離せないのでね」
反撃はなかった。そのかわり、暗がりから霧の獣がぬるりと現れ、ベネリートの武器や身体にまとわりつく。
「面倒な……」
魔術師は魔物に背後を任せると、両手を天に掲げて詠唱を再開した。低くきしるような声がおぞましく響く。
床には複雑な文様が描かれており、石造りの祭壇の上には生贄の少女の姿。呪文が完成してしまえば、その生命は奪われ、続いて自分も同じ道を辿るのだろうと想像がつく。
剣を振る。一匹が溶けるように消える。
血がしぶく。爪か牙かに膚を裂かれた。
剣を突き刺す。魔物は形を残したまま、動かなくなった。
握っていたのは、あの時この場所で引き継いだ長剣。どうやら毒刃であったらしい。
「ゲイラーン!」
魔物を片付け、魔術師に斬りかかる。一撃はやはり防がれ、必殺の刃がかすりもしない。
それでもゲイラーンは壁際へと追い詰められ、舌打ちをした。
「この場は私の負けだ。だが、常に次と言うものはある……」
減らず口とともに、壁石のひとつを叩く。ただちに隠し戸が開かれ、彼はその奥へと身を躍らせた。「さらば」の一言が暗く狭い通路に残響する。
ベネリートはその後を追うことはせず、生贄の少女を連れて塔を出た。
霧の森に戻る前に、少女を老婆の家に預ける。この少女の名がベアトリスだった。
終局
霧を抜け、塔を臨むのもこれで三度目。
ベアトリスは年頃に成長していた。彼女はベネリートの姿を認め、不可解そうな顔をした。
すれ違いざま声をかけられたが、ベネリートは時を惜しんだ。遠目に見える塔の入口に、何も知らない自分自身の後ろ姿があった。
急ぎ足に塔へと向かい、途中、ちゃっかりと隠しておいた指輪を回収する。魔力と輝きを取り戻した指輪には、良い値がつきそうだ。
ちょうど、以前の自分が霧の獣を片付けたところに、ベネリートは追いついた。意識が先へと向いている自分は、追跡者に気づくことなく進んでいく。
手探りで進む足取りは遅々として、結果を知る身としては歯痒い思いをする。だからといって迂闊に追い越しでもしようものなら、今の自分が消え去ってもおかしくない。それに、ゲイラーンを仕留めるには、どうしても囮が必要だ。
体当たりをしそこねた自分が、無様な格好で最上階へ転がり込む。
ベネリートは機会をうかがうべく、剣を手に階段の下で待機する。階上からは剣戟の音。まだ頃合いではない。
「待ってもらおう」
若々しい声がベネリートを呼び止めた。警戒する目の前に、ぼんやりと人影が浮かぶ。
「『十年前』にお聞きした声ですね。何者です」
「君にもおぼえはないかね? 赤の他人に間違えられたり、自分のしていない事で誉められ、けなされ、あげく神だと祭り上げられたり。僕もそういった者の一人だ」
「少し前まで、そんな経験はなかったんですが。つまるところ、本来の『霧の森の半神』があなたなのか」
「実情はそんな大層なものではないのだが、そう呼ぶ人は多いね」
「用件はなんです」
「超自然の助けを得るのが君ばかりでは、ゲイラーン・カーナが可哀想じゃないかね?」
まばゆい黄金の光が鼻先を掠めた。ベネリートが危険を直感し飛び退っていなければ、彼の首は胴に別れを告げていたことだろう。男の手にはどこから現れたのか、輝く剣が握られている。
「『霧の森の半神』は、邪悪を討つ正義の使いだと伺いましたが」
「おや、意外だな。君は自分が悪ではないと言えるのか」
「まさか。あなたが正義ではありえないというだけですよ」
黄金の剣と、黒光りする毒剣が打ち合わされる。不思議と音は鳴らず、上から響く騒音に混じるのは衣擦れと足音、それに息遣い。
二度、三度と打ち合い、余裕の笑みを浮かべる男にベネリートは圧されていく。
「どうしたね。君の腕はその程度か」
「くっ……」
さらに一歩、ベネリートは退く。男がすかさず追い打つが、これが罠だった。
ベネリートは床を蹴った。勢いは矢のごとく、身を低くして男の脇をすり抜ける。敵の足下をすくって地に転がし、同時にこの部屋の仕掛けスイッチを剣先で叩く。
「なんだと!」
足下に広がる光景に気づいて、男は叫び声を上げた。ベネリートが以前に調べた、灼熱の異空間と繋がる落とし穴である。
ベネリートは床が消失する寸前に階段へたどり着き、難を逃れていた。振り返った彼は、紅蓮の波間に吹き上がる青白い炎を見た。
「正義は勝者にあるというのが、世の理ですから」
脂の焼ける強烈な匂いを残して、落とし穴は閉ざされた。
剣戟の音が止んでいる。急いで階段を駆け上がった。
勝ち誇り哄笑を上げる魔術師と、壁際に追いつめられた自分自身。ゲイラーンはとどめの一撃を加えるべく、その指先に魔力を集中している。
過去の自分を殺されてはたまらないと、ベネリートは二者の間に割り込んだ。かばって受けた魔法の矢は痛みをもたらしたが、致命傷ではない。
臆さず詰めた間合いから、例の毒刃を敵の胸へと突き立てる。切っ先が魔術の防壁を破り、肉を裂き、骨を砕いて、心臓を抉る。確かな手応えを感じ取った。
「き、貴様……ぐは」
ゲイラーンは血を吐きながら、凶手の顔を認めて目をみはった。それが彼の死に顔となった。
「まったく、とんだ茶番ですよ」
ベネリートは長剣を引き抜き、したたる血を拭うと、振り返った。
以前の自分は膝をつき、呆然と自分自身を見上げている。彼の前に剣を置いて、一言。
「次は、あなたの番ですからね」
それだけを告げて、ベネリートは立ち去った。
余談
戸を叩く音と、呼びかける声。ブリシーラナは億劫だと思いつつ、机に伏した身を起こした。
「入れ」
「失礼します」
ベネリートは部屋に入ると、入口近くに立ったまま行儀よく腰を折った。
「前口上はいらぬぞ」
「わかりました。では、ええと……先日は、すみませんでした。取り乱して、迷惑をかけたことです」
「構わぬ。わたしに非がないわけでもないようだしの」
「それでも、身に覚えのないことで騒がれるのは、いい気がしなかったでしょう。最近、似たような経験をしまして、困ったものですから」
「……お前とわたしに何かの関わりがあることは、知っておった」
「えっ」
「半端者のお前にはわからぬだろうが、我らの記憶は魂のみならず、血の深淵にも刻まれておる。こたびの目覚めの際に、その片鱗は見たのだ」
「それは、どうにかすると、思い出すことができるということですか?」
「是とは言えぬ。例えるなら、血の記憶は読みにくい書物のようなものでな。忘れごとも記されておるが、紐解くには時間と手間がかかる。試みる間にお前の寿命が尽きよう」
期待に瞳を輝かせかけたベネリートだったが、続いた言葉に肩を落とすことになった。
ブリシーラナは机上へ手を伸ばし、革の手帳を取り上げて見せる。
「それでここ数日、これを読んでおった。わたしの手記だ。まったく信じがたいことばかり記されておるよ。……到底、わたしに代わりはつとまらぬ」
「代わり……に、なってくださるつもりだったんですか」
「易ければな。だが、無理だ。育て親の形見がほしくば、これはくれてやる」
手帳が少女の手から、青年の手へと渡る。
ごわついた安物の感触が、質にこだわらない彼女らしいとベネリートは思った。目に熱いものがこみ上げたが、こぼすことは堪えた。
「……お願いがあります。あなたを、恩人と縁の深いかたとして、親しく思うことを許してほしいんです」
「ふむ。お前は本当にそれでいいのか」
「はい。私はあなたを……亡き人の、妹のようなものだと、思うことにしました」
「そうか。ならば好きにせよ。わたしはわたしの思うようにやるゆえな」
「あっ、あともうひとつ」
「なんだ」
「仕事をしてみて痛感したのですが、どうにも片目がないというのは不便で、剣も以前のようには振るえないようなんです。当分の間、お手伝いいただくことはできますか」
「……引き受けよう。それはわたしがお前にかけた迷惑だ」
「ありがとうございます」
後記
終了時点の手札はこちら。所持金は0→1300sp。獲得カードはアイテム【徒渡る神の目】【悲嘆】。
シナリオ『時紡ぎ』には複数の結末があります。得られるものも一通りでなく、【メイアの毒】を持ち帰ったりもできるので、キャラクターに合わせたプレイングをする楽しみがあります。
ベネリートは身一つで突入したので、最も収入の多い結果にはなっていません。収入を求めるなら、鑑定技能を持ち込むといいでしょう。【徒渡る神の目】を入手するより前に、大きな機会があります。(驚きのバグもありますが)
また、『霧の森の半神』と戦うことがあれば、是非一度は【徒渡る神の目】を向けてみてください。彼の背景を知ることができるだけですが、私はこのイベントが好きです。
スクリーンショットには、シナリオ作者 M.Mori 氏と groupAsk の手によるリソースが含まれています。
スクリーンショット、本文テキストとも、転載などの二次利用は禁止します。
当リプレイ内の吸血鬼やその他世界観など、諸々に関する設定は、リプレイ内かぎりの非公式なものです。これらの設定を BloodWirth の公式設定として掲げることはありません。